96歳 創業者(熊谷 加舟)の歩み
1929~1950年
- 長野県平谷村(長野県で一位番小さい村)に産まれる(6人兄弟の次女)
- 12歳で県立飯田高等女学校に入学
- 学徒動員で上田の鐘紡工場へ行きパラシュート生地の織工(2ヶ月)として、また即席の従軍看護婦の養成で看護婦の勉強と病院実習(約1年)をした
- 15歳で学校卒業、その後たかやす医院で看護師の見習いとして働く
1951~1953年
- 22歳で熊谷亮と結婚、翌年長男、嘉隆出産
- 嫁いだ熊谷家は農家とお母さんが助産婦だったため、手伝いながら子育てをする
1954~1957年
- 次男孝夫を出産する。しかし孝夫が3歳のとき水難事故で亡くなる
1958~1959年
- 三男仁志を出産
1960~1967年
- 亮が農業の傍ら漬物の仲買をはじめる
1968~1972年
- さらに飯田縫製(縫製業)をはじめる
1973~1989年
- 夫の亮がすい臓ガンで亡くなる(三男はまだ中学生のとき)
- 夫に先立たれ、自身の子供2人と人様の子供5人の子育てと飯田縫製という会社。漬物の仲買、農業などを一人でやることとなる(姑はいた)
- 翌年、亮が友人の会社の保証人になっていた天竜漬物が倒産
- 4.3億円の借金を背負う
- 飯田縫製と、山ごぼうの仲買をメインに必死で働き、借金の返済と子供を育てる
- 子供は2人とも大学へ行き、長男は医師。三男は介護福祉士の資格を取得
- その後2人とも結婚し、長男夫婦が3人の娘。三男夫婦が2人の娘。5人の孫ができる(内3人は医者になる)
1990~1993年
- 飯田縫製を法人化(後の有限会社かふね)
- 下請けの縫製に加え、店舗の営業を始める
1994~1996年
- 約20年で天竜漬物の借金を完済
- 酒販免許を買えることとなり有限会社メガテンを始める
- 地域の農家の人がそもままの格好でも気軽に来てお酒で楽しんでもらえる場所を提供
- 同時に三男は今まで働いていた障害者施設を退職し、メガテンに入社
- メガテンは設立3年後、5年後、8年後、それぞれ1店舗増やし、市内4店舗運営
1997~1998年
- 倫理法人化に入会。翌年、飯田倫理法人会を立ち上げる
1999~2000年
- 飯田縫製については時代の流れから海外の衣類に勝てなくなっていた
- ちょうど2000年より介護保険は発足
- それに合わせ、70歳の時に今まで縫製をしていた女性社員を全員バスで研修に連れて行き、ヘルパーの資格を取得
- しばらくはミシンで縫製しながらヘルパーに行く日々が続いた
2001~2006年
- 飯田縫製から有限会社かふね(介護のかふね)に事業転換
2007~2020年
- 社会福祉法人一陽会(特養)を発足。それに向け管理者基準であったヘルパー1級を75歳で取得
- ヘルパー1級を取得すための研修の中で中国帰国者と出会う
- 言葉の壁でデイサービスを利用できないでいた
- この地から多くの人が満州に行ったこともあり中国帰国者は多くいた
- 何とか3人の方をデイサービスに招き入れた
- そののち2005年にNPO法人「ニイハオの会」を設立する
- 有限会社かふねは、最初ヘルパーから始まり、福祉用具レンタルや住宅改修、介護用品販売の店舗やケアマネ、サ高住、デイサービスなど介護事業を展開
- ㈳一陽会は特養を中心にデイサービス、訪問介護、サ高住、小規模多機能、グループホーム、保育園を運営
2021~2024年
- 長男嘉隆が長年勤務していた病院を退職しくまがいクリニックを立ち上げる
- 80歳過ぎても毎週東京へ研修にいっていた
- 90歳くらいまでは月に1度、倫理法人会のモーニングセミナーに全国で講演に一人で行って講師として1時間話をしていた
2025年
- 現在96歳
365日大学というオンラインの学校(毎日zoomで講義)や俳句の句会の講師をいくつも取りまとめている